君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
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一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
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パラノイア
最近ぶっちゃけた記事をUPしすぎて、正直やってしまった感が否めない
まあ、それはそれでいいよね

話は変わって、今日は全知全能の神について疑問を投げかけよう
また、コメントねえんだろうなあ・・・・

「全知全能」
これは可能なことなのか
正直、無理なんじゃないかというのが今の気持ちだ
もし、このブログを見てくれている人がいたら答えて欲しい質問がある
「神様は自分に持ち上げられない石を創り出すことは可能か?」
うん、パラノイアってやつだよね
詳しくはカオス理論を

そして、全知もまた不可能かもしれない
未来予知が不可能だというのが、最近の量子論で分かってしまった
原子の世界では、ランダムに原子がテレポートするんだとさ
これじゃあ、未来予知は不可能
そして、未来が決定付けられなくなってしまった

神様ってどんな方?
全知全能だよ!!
そう言ってはいられない時代になってしまった
何でも出来る、何でも知ってる
多分そんな枠にはとらわれないんだろうな




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君の中に僕がいる
人が死ぬのは悲しい
去年、今年と大切な人が死んだ
祖父も、祖母も、父も死んでしまった

天国に行くから悲しくないと、僕は自分にうそぶいていた
本当は悲しいはずなのに
悲しくないはずが無いのに

人は一人ひとり自分の世界を持っている
だから、人が死ぬと世界が一つ消える
もし、それが僕の知人だったら
その人が死んだ時、その人の中の僕も死ぬ
僕の世界の一つが死んでしまう

だから、人が死ぬと身が切られるように苦しいのだと思う
死ねば会えるのは分かっている
だけど、さみしい
ただ、悲しい

ただ、悲しい



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頑なな心
今日の日記は長いです


人の心は頑なになりがちだ
それは、僕にも言えることだし他の人にも言えることだと思う
その理由は様々だと思う
自分の経験、信念、知識
その一つ一つはとても素晴らしいことなのに
周りを拒否してしまうと、とたんに色あせてしまう

僕にも覚えがある
キリスト教にまだ夢中だった頃、周りの意見を聞かずに伝道まがいのことをしていた
「神は絶対にいる」
そう言っていた

だけど、それは間違っていた
神は絶対にいるなんて僕には言えない
僕が言えることは、「神がいると信じている」
そうとしか言えないことに気がついた

じゃあ、なんのために?

頑なな心が溶かされたときに、僕はその答えを持っていないことに気がついた
「神様はいるんだから、それを信じるのは当たり前だろう?」
そんな風にしか僕は自分の信仰を確立していなかった
なんて愚かな人間だったんだろう

それまで僕にとって聖書とは、それまで人生の辞書のようなものだった
どうしたらいいか分からないときに
「ほら、聖書にはこう書いてあるからこうするのが正しいんだ!」
そう言って息巻いていた
この世の価値観を否定し、キリスト教のみが至高の存在だと信じていた

だけど、大学に入り誘惑に負け罪におぼれた時に、僕は聖書じゃ救われてない自分に気がついた
僕はその時、神様を捨てた
お決まりの「神がいたとしても何もしてくれない」そんなセリフを吐きながら

だけど、結局僕はキリスト教を捨てることが出来なかった
でも、それは地獄に落ちるという恐怖感からだった
だけど、そんな僕を救ってくれたのはノンクリスチャンの大学の友達だった
僕は彼らを信頼し、彼らも僕と過ごすのを楽しんでいた

その時僕はふっと思った
彼らは地獄に行くのかい?
僕の心を救ってくれた彼らは地獄に行くのかい?
なんで?
イエス様を信じていないから?

ちょっと待ってくれ!!

イエス様は全人類の罪を背負って死んだんだろう!?
じゃあ、彼らが地獄に落ちたとしたら、誰がその罪を背負っているというんだい!?
僕はそう思った

それから、僕の信仰は一変した
人は死ねば天国に行く
そう思うようになった
だって、そうじゃなきゃ世界は救われない
だって、それが愛ってもんじゃないのか?

そう考えた時に、僕の信仰の理由が確立した
幸せになるために
周りの人間と幸せになるために
僕は信仰を持つ

神様が人間を創ったのだとしたら、きっとそれは素晴らしいものなんだ
愛や友情、優しさや慈しみといった心がどこからくるのか
エゴの形を変えたものとは思いたくなかった
由来が神様で、人間はそれを持っている存在だと信じたかったから
なんのことはない
僕は人を信じたかったから、神を信じることにしたんだ

だけど、それでいい
クリスチャンでなくても、愛がある
愛があれば幸せに生きることが出来る
だけど、僕みたいに考えてしまう人間や、弱りきった人間がいたら声をかけよう
神を信じた方が楽だぜって

だから僕は何者も否定しない
その人を理解すれば、きっと友達になれると思うからだ
否定は拒絶だ、それなら理解して受け入れる
その方が楽しい
おかげで議論で負かしたと思われることがしばしばだ
僕はただ分かりあいたいだけなのにね

クリスチャンでなくても天国に行くと信仰を持った時、僕は初めて人を愛せるようになった
人を信頼することが出来るようになった
初めて心から人に優しくなることが出来た

ここで短歌を一句
「地獄へと、落ちないために信じてる 疲れないかい その信仰は」


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結婚とSEX
クリスチャンは結婚しなければSEXが許されない
そう言われている
聖書には手篭めにしたら結婚しろと書いてあるとおり、そうなのかもしれない
だけど、本当にそうなのか
僕にはわからない

よくクリスチャンの人が言う
「結婚してからのSEXはぜんぜん違う、心の繋がりとかが結婚前とは違う」
僕はこれに対して極端なことを言う
それは君がそう思うのならばそうだ
君がそう思わないのならば違う、と
人間の心理とはそういうものだから

僕は結婚していない
しかし、SEXはしたことはある
だから、純潔のクリスチャンにも覚えてほしいことがある
例え結婚前でも、二人が求め合い体を重ねたときの心の底からの幸福感、充足感は確かにあると
もちろん、別れた時の傷は深かった
だけど、その傷すら僕の宝物だ
消すつもりはない

そもそも、結婚にどれだけの意味があるのか
結婚とはなにを持ってして結婚というのか
そんなことさえわからない

男女が二人で一体となること、それが結婚だとは思う
しかし、結婚しないように定められている人は半分なのかい
ゲイやレズビアンの人はどうなんだい
そもそも神の前で誓うことが条件ならば日本の多くの人が婚前交渉になってしまう

SEXは特別なことだ
結婚も特別なことだ
しかし、この二つは結びつかない
僕は思う
聖書が言っているのは「結婚外で子供を作るな」ってことじゃないか?
避妊法も発達したこの時代になにを持ってして婚前交渉が駄目だと言うのか

僕の中にある答えは陳腐なものだ
経済的な理由
それだけだ
結婚するまで避妊して、結婚したら避妊しないで子供を作って幸せな家庭を作る
何が問題なのか分からない

ベストは結婚してからするかもしれない
だけど、ベスト以外はバットなのかい?
ベターかこの世に存在しないのかい?

イエス様はなんて言うんだろうか
死んだときにでも聞いてみよう

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愛について
隣人を愛しなさい
イエス様は僕等にそう言った
とても、とても僕は素晴らしいことだと思う

でも、僕はいまだに愛とはなにかを知らない
愛とは何をもって愛となるのか
僕はまだ知らない

愛は忍耐強い
愛は情け深い
愛はねたまない
愛は自慢しない、高ぶらない
愛は礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みをいだかない
愛は不義を喜ばず、真実を喜ぶ
全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てに耐える

聖書には愛とはこういうものだと書いてある
でも、これは愛の持つ「性質」の話だと僕は思う
愛自体じゃない
じゃあ、愛ってなんなんだい?
人間の心の中にあって、当たり前のもの
だけど、人間がそれをうまく言葉に出来ないもの

それともう一つ
愛が無ければ、全てのことに意味が無くなる
聖書はそう書いてある
愛が無ければ、信仰すらも意味をなくす

じゃあ、今僕等が生きている世界は意味がないのか
きっと、そんなことはないと思う
僕はこの世界には意味があると思う
だから、知らない間にこの世界は愛に満ち溢れているんだと思う
辛い出来事、悲しい出来事、耐え難い出来事
その一つ一つにさえ、愛が無ければ意味がなくなってしまう

僕の中にも愛がある
君の中にも愛がある
だから僕等は繋がっている
だから僕等は意味を持つ
だから世界は意味を持つ

僕は愛が何かをまだ知らない
だからこそ、人を愛そうと思う
不完全で、自分勝手な愛かもしれないけれども
それがいつか本当の愛になると信じて
僕は愛が何かをまだ知らない
だけど、僕の中に愛が眠っていることを信じている
それが、僕がクリスチャンであるが故だ

全てが、バクテリアから始まって愛も全て心理学で解き明かされたら悲しすぎる
僕は愛を信じる
僕が神様から創られたと信じているから

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穴の空いた狼
小説をまた書きました


【穴の空いた狼】


僕のお腹には穴が空いている

だから今は何を食べてもこの穴から出てしまう

昔は色んなものを食べた

牛、羊、鳥、豚

昔は色んなものを食べた

逃げる動物を追いかけて、それを食べる

それが僕の誇りだった

だけど今は何を食べてもこの穴から出てしまう

ああ、なんて惨めなんだろう

あの時、春の陽気に浮かれて森を散歩していた僕を責め立てたい

森の木から差し込む日の光や、春の香り

それが僕の勘を鈍くしていた

春の日突然、僕は誰かが作った落とし穴に落ちた

穴の中には尖った杭がさしてあった

その瞬間僕は絶望して

その時、僕のお腹に穴が空いた

いたい、いたい

穴から必死に出た僕は、自分のお腹に穴が空いたことを泣いた

なんだって僕がこんな目に

なんだって僕がこんな目に?

なんだって僕がこんな目に!

悲しみはいつしか怒りへと姿を変えた

ちょうどその時だった

一匹の小鳥が歩きながら僕に話しかけてきた

「やあ、ごきげんいかが」

なんだって君はそんなことを言うんだい

怒り狂った僕は彼を丸飲みした

すると彼はお腹の穴から出てきて、こう言った

「ごきげんよう、虫歯に気をつけて」

ちくしょう、ちくしょう

僕は小鳥にさえ馬鹿にされるのか

いつしか僕は獲物を狩るのを諦めて

森の木の実を食べることにした

二つの前足でお腹の穴を抑えながら

みっともないかっこうで木の実を食べる

周りの狼が僕を笑う

「君はもう狼じゃないね」

そう言いながら僕を笑う

ああ、全くその通りだよ

怒りは薄れ悲しみが波のようにやってくる

あの小鳥が歩きながらまた僕に話しかけてくる

「やあ、ごきげんいかが」

僕は彼を口に含み

翼を噛み砕いた後に、飲み込んだ

彼は穴から出てきてこう言った

「君は狼じゃないね」

僕は小鳥の言葉に涙した

小鳥が歩いて去っていった後に僕はいてもたってもいられなくなり

森から姿を消した

うっそうと生い茂った森から姿を消して

僕は太陽が照りつける草原にいた

そこには一匹の羊がいて、僕に話しかけてきた

「君はなんで泣いているんだい」

「お腹に穴が空いているからさ」

羊は不思議そうな顔をして僕に言葉を続ける

「なんで君はお腹に穴が空いていると泣くんだい?」

「僕はもう木の実しか食べれない 僕はもう狼じゃなくなったんだ」

羊は言葉を続ける

「じゃあ、君はなんなんだい?」

「狼じゃない僕は僕じゃない だから僕は僕じゃないんだ」

羊は眉間にしわをよせてこう言った

「僕がそのお腹の穴を縫ってあげようかい」

僕は驚きながらこう言った

「いいのかい、僕は君を食べてしまうよ」

すると羊は悲しそうな顔をして言った

「それじゃあ、駄目だ 僕が君に食べられると僕がいなくなってしまう」

僕も悲しそうな顔をして言った

「期待させないでくれ 君はなんてひどいやつなんだ」

羊はすまないと言って僕の前から姿を消した

僕は一人で泣いていると

穴の空いたお腹が鳴くのに気がついた

ああ、そうか

ここには木の実も無いんだな

ああ、そうか

僕は森に戻らなきゃいけないのか

僕は泣きながら森に戻った

僕はみっともない格好で木の実を食べる

周りの狼は僕を笑う

あの小鳥は空を飛んでいる

僕はみっともない格好で木の実を食べる

周りの狼は僕を笑う

あの小鳥は蝶を捕まえて食べている

僕はみっともない格好で木の実を食べる

周りの狼は僕を笑う

あの小鳥が僕に話しかけてくる

「やあ、ごきげんいかが」

僕はみっともない格好で木の実を食べる

「無視しないでおくれよ 君と友達なりたいんだ」

僕は小鳥に言葉を返す

「馬鹿にしないでくれよ なんで君は僕と友達になりたいんだい」

小鳥は僕に話しかける

「だって君は泣いているじゃないか」

僕は泣きながら小鳥に言う

「君には関係ないだろう」

小鳥は返事をする

「泣きながら食べられる身にもなってくれ せめてもっと美味しく食べられたいんだ」

僕はその言葉を聞いて

呆気にとられた

そして

久しぶりに

少し笑えたんだ

「ありがとう」

僕は小鳥にそう言い、彼と友達になった

小鳥と僕は一緒に木の実を食べる

周りの狼は笑う

僕等はそれを見て互いに笑いあう

周りの狼は笑いながら言う

「君は狼じゃないね」

小鳥も僕に笑いながら言う

「君は狼じゃないね」

僕は小鳥に笑いながら言う

「僕は穴の空いた狼だよ」

小鳥は笑いながら、その通りだねと言った

ああ、いつかの羊にも言いに行こう

僕は穴の空いた狼だっていうことを


終わり



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社会に出るということについて
クリスチャンは世の中に出て行かなければならない
そのことについて僕は大した異論はない
むしろ、ノンクリスチャンだろうが社会には出て行くべきだ

だけど、一つ僕等は注意しなくてはならないことがある
僕等は天国に生きちゃいない
日本という国に生きているということだ

街中でビラを撒く、賛美を歌う
そのことを否定したくはない
だけど、今の日本でそれは奇異な目で見られてしまうことを覚えなきゃいけない

そもそも伝道とはなんなのだろうか
キリストだけが道だと説くことか
それは、違うんじゃないかな
知らず知らずのうちにキリストと同じ道を歩んでいる人にわざわざ伝道する必要があるのかい
家族を大切にし、友人を大切にし、親切で慈悲深い人に伝道をする必要があるのかい?

その人を理解せずに、キリストを信じていないというだけで伝道をするのは傲慢じゃないのか
僕はそう思う
僕の友人にはノンクリスチャンが多い
だけど、僕は彼らをクリスチャンにしようとしたことはない
なぜなら、彼らは自分の意思で自分の人生を決定して、幸せになろうとしているから
さらに僕の心を救ってくれた面もある
そういう意味では彼らは僕より神様に喜ばれているのかもしれない

キリストを信じているだけが重要なのか
キリストを信じていて、周りの人々と笑顔で幸せに生きる人
キリストを信じずに、周りの人々と笑顔で幸せに生きる人
どちらが偉いとかあるのかい?
両親がいて親の言いつけを守り、人生を生きる人
孤児院に生まれ自分の価値観で、人生を生きる人
そこに優劣が存在するのかい?

全員が違う価値観を持っている
このことに対し、全てを同じ価値観にしようというのは僕は間違っていると思う
何もしなくても、世界は僕等に繋がっている
その繋がっている糸を、価値観が違うからというだけで僕は切りたくはない

周りの人々と笑い会おう
イエス様は罪人と一緒に飲んで騒いだ
なぜなら、イエス様は彼らを罪人だなんて目で見ていなかったからだと思うんだ
一人の人間として見ていたと思う
僕もそうなりたい

だけど、僕もクリスチャンらしいことを一つだけしたい
悩み傷ついて、自分が死んだらどうなるかとか、自分がどうしたらいいか分からない人に言いたい
「君は素晴らしい存在なんだよ 大丈夫、死んだら君は天国に行くよ」
そう言いたくて、僕はクリスチャンをやっている

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成長という言葉の残酷さ
教会でよく「成長しましょう」という言葉を聞く
僕はその言葉が嫌いだ、ものすごく嫌いだ
クリスチャンは成長するものだというよように言っているようで聞くのがとてもつらい
僕の友達に、ダウン症の人がいる
彼にどんな成長を望めと言うのか

そう、成長という言葉は健常者だけに許されている
アルツハイマーにかかった人はどうすればいいのか
筋ジストロフィーにかかった人に奉仕をすれというのか
意識があるだけで、体が全く動かない難病の子供に「成長しなさい」と言うのだろうか

神様は僕等に何を望んでいるのか
それは成長して、立派な人間になることか
僕は違うと思う
幸せに生きること
周りの人と笑顔で過ごすこと
そのことを望んでいるように思えて仕方が無い

たとえ異言を言おうと天使の言葉を言えても、愛が無ければ何の意味も無い
山を動かすほどの完全な信仰を持っていても愛が無ければ意味が無い
そう言っているのは聖書だ
それと同じように、どんなに立派な人間に成長しようと愛が無ければ意味が無い

愛するということを考えた時に、安易に「成長しましょう」なんて言えないはずだ
成長できない人たちもこの世の中にはたくさんいるのだから
そんな人たちに「成長しましょう」と言うとき、そこに愛はあるのか

信仰、希望、愛
この中で最も偉大なのが愛だ

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持って生まれた偽善と善
偽善者が嫌い
そんな言葉をよく聞く
僕も偽善者は多分嫌いだ

でも、偽善者ってなんだろうね
自分に栄光を返すのが、偽善とうのなら
完全な善が無いように、また完全な偽善もないのだろう

そう思うと、偽善という言葉がなぜ存在するのかすら疑問に思えてくる
人間に100%の善など今の段階では不可能だ
ああ、不可能だ
じゃあ、100%の偽善なんていうのも無理な話だ

だから、偽善者といわれる人たちにも善があるんだよ
愛があるんだよ
人間はよく、二元論で物事を分けたがる
だけど、二元論で片付けられるほど世界は単純じゃない

クリスチャンはよく、キリストを信じているかいないかで天国か地獄を分けたがる
じゃあ、信仰ってなんだい?
人の心ほど型にはめるのが難しいものは無い
そもそも何で信じているんだい?
天国に入りたいからかい?
地獄に落ちたくないからかい?

違うだろ
幸せになりたいからだろう?
じゃあ、幸せってなんだい

この世でキリストを信じずに幸せに生きている人たちは地獄に落ちるのかい?
そもそもそういう人たちは幸せに生きれないというのかい?
神様はそんなに、度量の狭いお人かい?
イエス様はクリスチャンだけの罪を背負って死んだのかい?

もし、偽善者というものが存在するのならば
それは世の中を二元論で分ける人たちのことだと僕は思う
自分は正しい、あちらは間違っている
それじゃ、悲しすぎる

理解しよう
繋がろう
いつか、キリスト教とイスラム教が互いに手をつなぐ日が来る
僕はそう信じている
じゃなきゃ
この世は救われない

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