君が生きている
「君が生きている」 そのことが何よりも大切だと思いたい そのことが愛の形の一つだと思いたい。
プロフィール

一重まぶた

Author:一重まぶた
一重まぶたです

北海道在住のクリスチャン
しかし、周りとあわせることが出来ないクリスチャンです
愛が何かもわからない



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



FC2カウンター



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


唾を棄てる

愛されることへの不感症へ。
孤独に生きていた人間へ。
僕へ。
君へ。
満たされない人へ。
二世クリスチャンへ。
あなたの生きる道が最初から用意された人たちへ。
イエス、キリストを絶対的な真実とされていた人達へ。
あまりにも浮世離れしたクリスチャンへ。
君へ、そして僕へ。
少しでも疑問に思ったことがある君へ。
聖書に矛盾を感じた君へ。
聖書を信じる人間に矛盾を感じた君へ。
そして、自分がおかしいと感じた君へ。

そう、君がおかしいのだ。
僕が、おかしいんだよ。
愛を知っているのに。
愛を受けているのに。
有り余る愛を受けているのに。
満たされない、足りない。
満足ができない。
それが、君であり僕なんだよ。

いろいろな理由がある。
自分が幸せでも、他人が幸せでなければ我慢ができない。
自分が幸せでも、もっともっと足りない。
僕は両方さ。
だから、あの頃の僕が見たら死にたくなるぐらいに僕は、僕は。
僕は。

満たされて、減らされて。
その一喜一憂に踊らされて。
我が子の愛おしさが、すべての免罪符になると思って。

好き勝手に生きている。
だから、あの頃の僕が死にたくなるぐらいに僕は、僕は、僕は。
僕はひどくつまらない人間になってしまった。
僕は、ひどくつまらない人間になってしまったんだよ。

希望が薄れていく。年とともに薄れていく。
絶望が薄れていく。年とともに薄れていく。
僕は、希望も絶望もどこかへと追いやる家庭に飛び込んだ。
絶望だけが消えて、希望が、未来が続く道だと思っていた。

人生設計。
こんな言葉に左右されるようになってしまった。
君が無視していた言葉を重要視してしまった。
君が、君が、君が。
僕に期待していたすべてを裏切ってしまった。
なぜ、無力から脱却できた時期に僕は自分を優先してしまったのだろう。
今思えば、池の上ですら歩けた気がする。
僕には何も残っていない。
罵りさえ、今は懐かしい。

イエス様。
あなたの名を口にするのも久しぶりだ。
どうか、どうか息子を健やかに、としか祈れない。
僕は、僕は、僕は、

何ものも変えることができなかった。
変えることができなかった。
何もできなかった。
僕は、何もできなかった。
僕には、何もできなかったんだよ。

それこそが罪で、僕は罪人なんだよ。




にほんブログ村 キリスト教・クリスチャン

ランキングに参加しています。ランキングを上げたくない方は、クリックしないでいいです。





スポンサーサイト

化物
思春期にいた化け物は僕と一緒に老いた。息は切れ、膝は折れる。
化け物は立ち上がっても、立ち向かわない。
前を向いても、前を見ない。
下を向けば、下を見る。
僕の中にいた化け物はすっかりと息をひそめた。
そして、僕は優しさを手に入れた、偽善を手に入れた。
誰とでも仲良くなろうとし、誰とでも笑おうとしている。
そんな僕に唾を吐いていた化け物は、今は寂しそうに僕を見ている。
人を殴ろうとしていた僕を、化け物は興奮して見ていた。
今は、酒に酔った時にしかその顔を見ない。
僕が誰かに苛ついた時にしかその顔を見せない。
ずっともっと前は、憤りに顔を見せていたのに。
理不尽に顔を見せていたいのに。
誇れるぐらいの化け物だったに。
今はただの昔を懐かしむただの隣人。
そう、僕の隣人。
決して正体ではなくなってしまった僕の隣人。


信仰がなくとも人生が上手くいく
僕はクリスチャンだ
いつだってクリスチャンのつもりだった
妻もクリスチャンだ
子供は何を選択するかわからない

でも、僕はおおよそクリスチャンらしくない生き方だ
日曜日に教会は行きやしない
祈ることも忘れた
主の祈りはそれでも覚えているけれど

日曜学校に行って、世の中を憂いて
怒りに満ちて、憎しみに満ちて
凶暴的に、独善的に、暴力的に
何かを批判していた僕は、未だに心の奥底のどこかで出口を探しているけれども

それでも僕は何かを失ってしまった
何かを失ってしまったんだ

とても、幸せなんだ今の生活が
僕は今とても幸せなんだ
崩れることを恐れるぐらいに
今の一瞬がとても、とても大切なんだ

怒りも、振り上げたくなる拳も
何もかもが、あの頃になってしまった
僕はもう、猪突猛進にはなれやしない
人生がうまくいってしまっているから
とても、とてもうまくいってしまっているから

ヨブに憧れていた僕はどこへ行ってしまったのだろう
僕は、どこに行ってしまったのだろう
何を得てしまったのだろう

こんなにも、こんなにも幸せなのに
あの時に感じた怒りが失せてしまったことが、ただただ悲しい

悪党
自分自身が悪党だと思う瞬間は多々ある
それでも、自分が悪党じゃないと思う時間の方がずっとずっと長い
罪人だとか戯言を垂れ流しているクリスチャンのくせに
僕は自分自身がまるで良い人のかのように隣人に振舞う

社会に出て7年
まだまだ未熟者、そして半端者
それでも認められるようになり、家族を支えていることに誇りも持つ
そして、忘れていく
この世の中の、苦しくなるほどの悲惨さを

僕たちは恵まれているのかと度々話題になる
衣食住は確保されていて、生きがいなんていうのもそこらかしこに落ちている
それさえ拾えば、幸せに生きるのも難しくない
それでも、自分から死を選ぶ苦しさも時には手にする

これが幸せか
いや、それでも幸せさ

何の生きがいもなしにただただ生きている
それでも、その生活望んで手に入らない人達がいる
後進国と呼ばれる場所には、きっとそんな人達が大勢いる

僕たちの生活には衣食住が山ほど溢れている
食べ物は捨てられるぐらいに豊富にある
捨てられる程に、たくさんあるんだよ

飢えて死ぬ子どもたちがいる
飢えて死ぬ大人たちがいる
飢えてしぬ家畜がいる
飢えて死ぬ誰かが、今もどこかにいる

僕たちはそんな死体に目を背け、国家の話だからと自分を蚊帳の外に置く
僕らは知っている
僕らの生活は彼らの犠牲に成り立っていることを
僕らは知っている
僕らの生活は彼らの死体に腰掛けながら過ごしていることを

悪党だ
どうしようもなく悪党だ
知りながら声を上げない
自分のことに精一杯だという言い訳を振りかざして
自分自身も不幸だと言いながら、目を瞑る

僕たちは悪党だ
ひどく、ひどく悪党だ
罪人
罪を赦される
ハレルヤと叫ぶ
それを免罪符にのうのうと悪党で居続ける

そうやって、失っていくんだ
自分を罵る声を
自分を蔑む声を
だから、僕は僕を貶める
僕が、悪党であることを忘れないために


にほんブログ村 キリスト教・クリスチャン

クリックして頂けたら幸いです。

クリスチャン達へ、僕たちは哀しいほどに無力だ
クリスチャン達へ
僕たちは哀しいほどに無力な存在だ

保育園落ちた日本死ねと書いた人がいた
今は、その悲痛さが分かる
僕は年収300万で働いていた時期があった
その時期に結婚をした
その時に子どもが出来て、保育園に落ちたら
僕は、神様に何故このような苦難をと祈っていただろう

僕たちは彼女たちに何も出来やしない
祈ることもままらない現状で
ようやく、出来ることはやはり祈るだけだ
資本主義の顔をした、悪魔が僕らの周りで笑っているから

何故だろう
こんなにも教会から力が失われたのは
保育園を開く教会の数が少なくなった
日曜学校と言う言葉が嘘みたいに子どもが少なくなった日曜日の子どもたち
かつては、子どもたちが溢れていた子どもの祝福の時間に
僕の息子しかいなくなったのは何故だろう

日曜学校で友を得て、友に救われた僕は
息子に同じ環境を与えてやれはしない
分裂や離れる人達がたくさんいた僕の教会
人が多すぎて、立って礼拝している人までいたのに
ガラ空きの椅子

「空いている席に荷物を置かないでください」
今では、涙が出るような言葉だ

新陳代謝と言われればそれまでの僕の教会の現状
牧師が悪かったと言えば、解決する話かもしれないけれども
今なら僕達がこれっぽっちも信仰を実践出来ていなかったからだと分かるよ

教会に来れば楽しかったんだよ
教会に来れば救われたんだよ
教会に来れば現実を忘れられたんだよ
教会に来れば自分が肯定されていたんだよ
そして、それが間違いだったんだよ
それを求めて教会に行っていたのが間違いだったんだよ

教会に来ても辛い
教会に来ても救われない
教会に来ても現実を忘れられない
教会に来ても否定されている

そんな苦難の時でも信仰を保ち続けることこそが必要だったんだ
そして、そんなことが出来る人間はそもそも教会になんかに来やしない
そんな二律背反の中で、教会はゆっくりとゆっくりと衰退していった
そして、僕も教会から足が離れた

妻と息子と改めて教会に行った時に
まるで、他人の家に行ったような違和感を感じたよ
「初めての方ですか?」
僕が何回もかけた言葉を言われた時の気持ちは罪悪感だったのだろう

なあ、クリスチャン達
ハレルヤと叫ぶ人よ
したり顔で福音を伝える人達よ

僕たちは無力なんだよ
信仰で山も動かせないぐらいに
僕たちは無力なんだよ

信仰を持っていても、祈るだけじゃこの世の中じゃ何の価値もない
一銭の価値も無い
僕たちの信仰はこの世界じゃ、余計なものでしかないんだよ

その事に絶望を感じた時もあった
そんな世界が間違っていると叫んでいた時もあった

だけども、僕らの信仰は僕らには無駄じゃない
僕らは無力だよ、クリスチャン
どうしようもなく無力だよクリスチャン
世界を変える信仰すら持たない無力なクリスチャンだよ

そんな僕たちは愛してくれるという神様は、イエス様はどれだけ寛容なのだろう
そんな神様やイエス様に愛されているという僕たちはどれだけ幸せなのだろう
なぜ、僕たちだけそんな幸せなのだろう
なぜ、僕たちだけそんな幸せを知っているのだろう

涙を流そう
僕たちが知らない誰かが、いつだって苦難の中で涙しているのだから
僕たちは無力なのだから



にほんブログ村 キリスト教・クリスチャン

クリックして頂けたら幸いです。




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。